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福岡地方裁判所 昭和44年(ワ)1652号 判決

原告

石井哲夫

外一名

代理人

小泉幸雄

外九名

被告

福岡市

代理人

和智龍一

外二名

主文

一、被告は、原告らに対し、それぞれ金三六七万五、一五〇円およびこれに対する昭和四四年六月一一日から支払いずみまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の、その余を原告らの各負担とする。

四、この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、原告らがそれぞれ金七〇万円ずつ担保を供するときは、当該原告において仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求めた裁判

一、原告ら

1  被告は、原告らに対し、それぞれ金八〇五万八、五〇〇円およびこれに対する昭和四四年六月一一日から支払いずみまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二、被告

1  原告らの各請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二、当事者双方の主張

一、請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、夫婦であつて、訴外亡石井秀明(以下「秀明」という。)の原告石井哲夫は父、原告石井博美は母であり秀明の後記の死亡にもとづく相続によつてその一切の権利義務を承継したものである。

(二) 被告は、普通地方公共団体であつて、福岡市天神五丁目一番二三号所在の公の営造物である福岡市民会館(以下「市民会館」という。)を所有、管理しているものである。

2  事故の発生

秀明(昭和四二年三月一八日生)は、昭和四四年六月一〇日の午後、原告博美に連れられて、市民会館に来たが、同原告が同会館二階会議室B内で株式会社福岡百日草主催の美容講習会に参加していた際、同原告の目を離れ、同会議室を出て、別紙図面(一)記載の三階への上り階段の方へ向つた末、後記の隙間から4.2メートル下の同会館一階会議室事務室出入口内玄関ホールの床上に墜落して、頭部を強打し、脳挫傷、急性硬膜上下血腫により、翌一一日午後二時四六分ごろ、福岡市大字堅粕一、二七六番地の九州大学医学部附属病院脳神経外科病室で、中枢性呼吸麻痺のため死亡するにいたつた。

3  責任原因と責任の帰属

(一) 前記事故(以下「本件事故」という。)は、つぎのとおり、市民会館の階段周囲設備部分の設置および管理の瑕疵によつて発生したものである。

(1) 同会館には大小のホール、会議室が設けられ、ホールにおいては、毎日のように音楽、劇、講演等が催され、また各会議室においても、美容、花等の各種講習会あるいは各種会議が開かれて多くの市民がこれらを利用している。

本件事故の発生した二階には、前記図面(一)記載のとおり、A・B二つの会議室があり、また三階には国際会議室があつて、右二、三階への子どもの出入は別段禁止されていない。従つて、同会館の大小ホールや右二、三階の会議室を利用する父兄と同伴した子どもたちが、本件事故現場付近を往来したり、そこで遊んだりすることが当然予想される。

(2) ところで、同会館会議室A横の上り階段とバルコニーとの間には、別紙図面(二)記載のとおり、巾二九センチメートル、奥行三メートルの狭い場所があり、これから一五五センチメートル奥に入ると床巾が一〇センチメートルと狭くなり、しかも右図面(二)記載のA、B、C、D、E、F、G、Aの各点を順次に直線で結んだ線で囲まれた範囲内の広い部分が隙間になつている。とくにAB間の高さが五二センチメートル、EF間のそれが一二〇センチメートルもあり、またこの隙間から墜落しかかつた場合に手で掴まれるようなものはない。したがつて、身長一メートル前後の子どもだけでなく、中学生くらいの少年に至るまで、床面の隙間部分(右図面(二)記載のB、C、D、E、Bの各点を順次に直線で結んだ線で囲まれた部分)にあやまつて片足を踏み落したり、あるいは身体が上り階段の方、すなわち右図面(二)記載のA、B、F、G、Aの各点を順次に直線で結んだ線で囲まれた面の方向にいくらかでも傾けば、なんらの障害もなくして、そのまま一階に墜落するおそれのある状態であるから、同会館階段周囲設備部分の設置それ自体に瑕疵がある。

(3) また(1)で述べたとおり、本件事故現場の危険性について、被告は十分予測しえたはずであり、かつ多額の費用も要せず容易にその危険を防止するための措置を講ずることができたのにかかわらず、同会館の開設以来これをなさず放置していたのであるから、同会館階段周囲設備部分の管理に瑕疵がある。

(二) したがつて、被告は、国家賠償法第二条第一項により原告らに対し本件事故によつて生じた秀明ならびに原告らの各損害を賠償すべき責任がある。

4  損害

(一) 秀明の損害

(1) 逸失利益

秀明が死亡によつて喪失した得べかりし利益は、次のような算定により三九二万九、〇〇〇円となる。

(死亡時)二才三ケ月(昭和四二年三月一八日生)(なお健康な男児であつた)

(推定余命) 六四年(厚生省大臣官房統計調査部刊行第一〇回生命表による)

(稼働可能年数) 四〇年(二〇才から六〇才まで)

(収益) 月収五万七、六三二円(労働省「毎月勤労統計調査報告」による昭和四二年度男子常用労働者の一ケ月平均現金給与総額)として年収六九万一、五八四円

(控除すべき生活費等) 税金を含めて右収入の五割

(年間純利益) 三四万五、〇〇〇円(一、〇〇〇円未満切捨)

(年五分の中間利息控除) ホフマン式計算による。

(2) 慰藉料

秀明は、本件事故現場に予想もつかない隙間があつたために、一瞬のうちに墜落し、その結果頭部を強打し、脳挫傷、急性硬膜上下血腫の重傷を負い、幼い身体で約一日間苦痛と闘いながら、死線をさまよい、両親の顔を再び見ることもなく、二才三ケ月の短い生涯を終えたのであつて、これからやつともの心がつき両親の暖い保護のもとで真の意味の人生が始まろうとするときに死んでいつた秀明の恐怖、その苦痛は何ものにもかえがたい。これを感謝するためには、金四〇〇万円が相当である。

(3) 相続関係

原告らは各自秀明の前記(1)および(2)の損害賠償請求権の二分の一である三九六万四、五〇〇円をそれぞれ相続した。

(二) 原告らの各損害

(1) 慰藉料

秀明は、原告らにとつて生きがいであり、ものわかりのいい可愛いさかりの子であつた。秀明の成長を楽しみに愛情をこめて育てていた原告らが、一瞬のうちの本件事故により、頭部を打ちくだかれて、呼吸麻痺で死んでいつた秀明の姿に接したとき、その悲しみ、その苦痛ははかり知れないものがある。将来の生きがいを奪われたその精神的苦痛をあわせ考えるとこれを慰謝するためには各原告につき少くとも金三〇万円を下らない額が相当である。

(2) 弁護士費用

原告らは、被告に損害賠償を要求したが、被告は言を左右にして、責任がないと強弁しこれを拒否するので、原告らは、本件訴訟の提起、追行を弁護士である原告両名訴訟代理人らに委任し、昭和四四年一一月一日、各自金五万円を着手金として支払い、さらに成功報酬として各自金一〇四万四、〇〇〇円を本件判決言渡の翌日支払う旨約した。

5  結論

よつて、原告らは被告に対し、それぞれ金八〇五万七、五〇〇円およびこれに対する秀明が死亡した日である昭和四四年六月一一日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)の事実は、そのうち夫婦、親子に関する事実は認めるが、相続に関する事実は不知、同1の(二)の事実は認める。

2  請求原因2の事実のうち、秀明が昭和四四年六月一〇日市民会館に来ていたこと、同日同会館二階会議室Bにおいて株式会社福岡百日草が美容講習会を主催していたこと、同日同会館二階の上り階段とバルコニーとの間に原告ら主張のような時間があること、右隙間の一階会議室事務室出入口の床面からの高さが4.20メートルであること、同日秀明が右床上に倒れていたことおよび九州大学医学部附属病院脳神経外科病室において死亡した事実は認める。その余の事実は知らない。

3  請求原因3の(一)冒頭の主張は争う。

同3の(一)の(1)前段の事実のうち、各会議室において美容、花等の講習会が多く開かれていることは否認し、その余は認める。すなわち、各会議室は専ら会議用のものであつて美容、花等の講習会場として利用されたことはほとんどない。

同3の(一)の(1)中段の事実は認めるが、後段の主張は争う。すなわち、前述のように同会館二、三階の会議室は専ら大人の会議用として整備され、右の目的のために使用されてきたのであつて、このような会議ないし講習会に父兄が幼児を同伴して来ること自体被告の予想しなかつたところであり、ましてや講習会に参加した幼児連れの母親が自分ひとり講習会場にはいり、幼児が廊下、階段付近で遊ぶのを放置しようなどとは夢想だにしないところであつた。

同3の(一)の(2)の事実のうち、原告ら主張のような隙間があることおよび別紙図面(二)のAB間の高さが五二センチメートル、EF間の高さが一二〇センチメートルであることは認めるが、その余は否認し、同会館階段周囲設備部分の設置に瑕疵があるとの主張は争う。

同3の(一)の(3)の事実は否認する。

同3の(二)の主張は争う。

4  請求原因4のうち、(一)の(1)ないし(3)および(二)の(1)の事実ならびに主張はいずれも争う。(二)の(2)の事実のうち原告らが本件原告訴訟代理人らに本件訴訟を委任したことは認めるが、その余は不知。

三、被告の主張

1  階段周囲設備部分の設置または管理の瑕疵について

(一) 市民会館は、学術文化の向上等市民福祉の増進をはかるため建設され、昭和三八年一〇月二〇日に完成し、同年一一月一日より一般に公開されたものであり、一八〇二座席を有する大ホール、三六八座席を有する小ホールのほか、四ケ国語の同時通訳の設備を有する六八座席の国際会議室、一六座席の国際会議控室、五〇座席の会議室A、三〇座席の会議室Bという会議設備の部分に分れている。

大ホール、小ホールは広く一般に公開され、各種音楽会、講演会等に使用されているが、両者は入口も峻別され、互に通行のできない全然別個の施設として運用されている。また国際会議室を有する会議室の部分は、専ら各種会議を目的として作られた施設であつて、その目的においても、大ホール、小ホールとは別個のものであり、構造上も、右各ホールとは、各階とも壁で仕切られ、入口も別で、人の交流は全くない。会議室部分は、その目的からしても、子ども特に幼児の来場は全く予想しない専ら大人の集会のための施設であつて、国際会議室を有することからも特に美観を重視される施設である。

(二) 前記隙間は、会議室部分に存し、被告は特に右会議室部分への子どもの出入を禁止してはいないが、これは右部分に子どもが来ることが予想されないからである。

三階への上り階段と二階バルコニーとの間に巾二九センチメートルの隙間があるのは、特に地震に対しての構造上の安全をはかるため建物から階段を離したいわゆる簓桁構造によるものである。簓桁構造の階段は別に目新しいものではなく、昔からあつたもので、右隙間のような部分は、単に市民会館だけでなく、全国各地に存在し、いまだ事故が起つたことがない。しかもその隙間は、いきなり空間になつているのではなく、奥行一五五センチメートルは床があり、故意にその隙間に入りこみ危険に身をさらすならともかく、通常の用法では決して危険なものではない。

また右部分は、いわゆる踊場には該当せず、そこに手摺がなかつたからといつて、建築基準法にも何ら違反しないものである。

(三) 以上により、市民会館階段周囲設備部分につき、設置の瑕疵はないのみならず、管理の瑕疵もないことは明らかである。

2  原告博美の責任について

本件事故の発生については母親たる原告博美の責任は極めて重大である。そもそもかかる会議場における大人を対象とした美容講習会にわずか二才三ケ月の幼児を同伴してくること自体が問題であり、このことは当日幼児を同伴したのが原告博美ただ一人であつたことからみても窺い知ることができる。また会議室、廊下、階段は子どもを遊ばせる施設ではないのであるから、仮にやむをえず子ども連でしか受講できなかつたとすれば、原告博美には母親としての監護義務がある。

原告博美は、秀明が廊下に出たのを知つたのちも、そのあとを追つて安全を確かめることなく慢然と受講を続けており、会議室B入口より本件隙間まで約二〇メートルの距離があつて、右隙間へ行くという目的意識を持つていなかつた当時二才三ケ月の幼児の足ではどんなに短くみても五分以上の時間を要するから、わずかの注意さえはらつておれば本件事故の発生は容易に防止できたはずである。

本件事故の発生は、ひとえに母親としての監護義務を果さなかつた原告博美の責めに帰すべきものである。

第三、証拠〈略〉

理由

一、原告らが秀明の両親であることおよび市民会館は被告が設置し、管理している公の営造物であることは当事者間に争いがない。

二、事故の発生について

請求原因1のうち、市民会館二階の上り階段とバルコニーとの間に原告ら主張のような隙間があること、右隙間の一階会議室事務室出入口内玄関ホールの床面からの高さが4.20メートルであること、原告ら主張の日に秀明が右床上に倒れていたことおよび九州大学医学部附属病院脳神経外科病室において死亡したことは当事者間に争いがない。

そして〈証拠〉によれば、秀明は、昭和四四年六月一〇日午後二時二五分ごろ、右隙間から一階床上に墜落して、頭部を強打したことにより、翌一一日午後二時四六分ごろ、中枢性呼吸麻痺によつて死亡したことが認められる(もつとも死亡の事実そのものについては争いはない。)。

さらに右各証拠によれば、本件事故発生に至る経過は次のとおりであることが認められる。

秀明は、昭和四四年六月一〇日午後一時三〇分ごろ、母親の原告博美に連れられて、市民会館にやつて来た。原告博美は美容院を経営し、自らも美容師であり、当日市民会館二階会議室Bにおいて開かれた株式会社福岡百日草主催の花嫁化粧の講習会に出席するため、当日は家族従業員全員不在になる関係で同じく講習を受ける従業員穴井和子とともに秀明を連れて来たのである。

原告博美は、会議室Bの後部の席に坐つて受講していたが、秀明が外に出たがるので、廊下に連れて出たところ、かねて顔見りの右会社社員渡辺義久がこれをみて、秀明を外に連れて行こうと申し出たので、同人に秀明を託して、再び受講を続けた。右渡辺は市民会館の外に秀明を連れて出たが、五分くらいして再び右会議室に戻り、秀明を原告博美に返したが、その後も二、三回同じように秀明を表に連れ出して遊んでやつては原告博美に返すということを繰り返した。

しばらくして、モデルの化粧が仕上つて、モデルが受講者席の後にまわつて来たので、原告博美は、秀明を抱いてこれを見ていたが、秀明がおりたがるので、下におろしたところ、一人で約四メートル離れたドアから室外に出て行つた。原告博美はこれに気づき、しばらくの間ついて行こうかどうしようかとちゆうちよするうち、前記渡辺が小走りに部屋から出て行くのを見て、安心して同人にまかせたまま受講を続けた。

右渡辺が廊下に出てみると、秀明は会議室Bドアより歩行距離約二六メートル先にある廊下突き当りのバルコニーに出るガラス張りドアを前にして立つて外を見ていたので、渡辺がゆつくり近寄つて行く間に、秀明は外を向いたまま横歩きに三階への上り階段の方に移動して行き、やがて前記隙間のある狭い場所に入り込んでしまい、ついには右隙間から一階床上に転落してしまつた。

以上の認定を覆えすに足りる証拠はない。

三、責任原因について

1  そこで市民会館階段周囲設備部分の設置または管理に瑕疵があつたか否かについて判断する。

(一)  本件事故現場の構造および付近の状況

本件事故現場に原告ら主張のような隙間があることは前記のとおりであるが、さらに〈証拠〉によれば、次の(1)ないし(5)の各事実が認められる。

(1) 市民会館は、福岡市天神五丁目一番二三号にある地上四階の変型六角形の建物であり、大小二つのホールと金議室の三つの部分に区分されており、本件事故現場は、右会議室部分にある。

なお付近には福岡県文化会館、須崎公園などがあり、周辺は市街地であり、住宅、商店が密集している。

(2) 会議室部分への出入口(事務室出入口を兼ねる。以下同じ。)は、市民会館正面に向つて左端にあつて、大ホールおよび小ホールの出入口とは別になつており、大ホールと二階以上にある会議室部分は隔壁によつて仕切られている(もつとも右会議室部分への出入口を入ると一階事務室の横に大ホールへ通じるガラスドアがある)。

(3) 右会議室出入口から中に入ると玄関ホールになつており、すぐ左手に二階への階段があり、踊場を経て二階廊下に至つている。二階には階段を上つた左手に会議室Aその奥隣に会議室Bがある。そして二階への階段を上りつめた右隣に三階国際会議室への階段がある(別紙図面(一)参照)。

右階段と二階バルコニーとの間に踊場兼用の二階廊下床面の延長として巾二九センチメートル、奥行三〇七センチメートルの狭く細長い場所があり、そこへ入ると右階段の最下端から一五五センチメートル奥のところで突然に床はバルコニーとの仕切りガラス壁に沿つた部分だけの狭い巾12.8センチメートルを残して切れており、右階段側面も三階への上り勾配に従つて斜めに大きく切りとられており、これによる隙間が直接一階玄関ホール床に至るまでの大きな空間に向つて開口している(別紙図面(二)参照)。

(4) 二階廊下とバルコニーとの間にはスチールサッシュ製ガラスドアがあるが、右隙間のある場所とバルコニーとの間はスチールサッシュ製ガラス壁で仕切られている(別紙図面(一)参照)。

(5) 右隙間のある場所は、二階廊下から奥を見ただけでは、一見何の変哲もない階段と壁との間の隙間としか見えない。もつともよく注意して見れば奥の方は床の半分以上が存在しないことはわかるが、側面にも大きな空間があることは奥へ入つてすぐ近くに行つてはじめてわかるような構造である。そしてバルコニーに出てガラス越しに見ればともかく、他の場所からでは一見しただけでは、前記のような構造を認識することは難かしい。

(二)  市民会館の用途および利用状況

(1) 〈証拠〉によれば、市民会館は、学術文化の向上等市民福祉の増進をはかるため建設され、昭和三八年一〇月二〇日完成したものであることが認められる。そして市民会館の大小のホールにおいては毎日のように音楽、劇、講演等が催され、会議室においては講習会や会議が開かれ、多くの市民が利用していることは当事者間に争いがない。

(2) さらに〈証拠〉によれば、三階国際会議室は別として、二階会議室は、各種会議、会合のほか、美容、編物等の講習会(研修会)、大ホールでの催物の際の控室(ことに会議議室Bはもともと楽屋を兼ねている。)にも利用されてきたことが認められる。

(三)  市民会館の管理状況

(1) 市民会館会議室部分への子どもの出入がとくに禁じられていないことは当事者間に争いがない。

(2) そして〈証拠〉によれば、前記一階玄関ホールと大ホールを結ぶドアは、大ホールにおいて催物のある際は、二階会議室を控室として使用するなど同一主催者で借り切るような場合を除いては施錠していたこと、本件事故発生以前において前記隙間部分に手摺をつけるとか手前に障害物を置くとかの危険防止のための措置は何ら講じられていなかつたことが認められる。

(3) また〈証拠〉によれば、市民会館の各種施設の利用にあたつては、主催者において予め市長の許可を受けなければならないが、その許可については、福岡市民会館条例(第三〇号)第四条において、「一、公の秩序を乱し、または善良な風俗を害するおそれがあると認められたとき。二、建物もしくは附属設備を破損し、または滅失するおそれがあると認められるとき。三、その他管理上支障があるとき。」のいずれかに該当する場合は、市長は、利用の許可をすることができないと定められているのみで、その他の特段の制限はないことが認められる。

以上の(一)ないし(三)の認定を覆えすに足りる証拠はない。

2  ところで、およそ公の営造物については、当該営造物の構造、用途、場所的環境および利用状況等諸般の事情を総合考慮したうえで具体的に通常予想されうる危険の発生を防止するに足りると認められる程度の性質、設備を備えることを必要とし、これを欠く場合は、その営造物の設置または管理に瑕疵があるというべきである。

3 これを本件についてみると、前記各会議室を使用する会合の目的は限定されていないのであるから、ここに来集を予想される一般市民は老幼男女を問わないもので、特に判断力、行動力に十分な青壮年とは限らず、また、集会の開始前や終了後とか休憩時間中などに、廊下のバルコニー出入口および階段上り口の出会う場所にある本件の隙間の付近に、利用者が滞留し、そのうちのある者はバルコニーとの仕切りガラス壁を通して戸外を眺めながら横歩きして、廊下の床と同一平面の前記細長い場所に入り込み、右隙間に近寄る事態の生ずるであろうことは、会館開設の当初から十分予想すべかりしところである(床巾は二九センチメートルであるが、その上部の間隔は、ガラス壁のガラスとサッツュ枠との間約五センチメートルが加わり、通常の体格の成人が横歩きするに十分なものであることは、検証の結果により明らかである)。

そして、右隙間は、前記認定のとおり、接近してはじめて一階床までの空間に向う予期しない大きな開口部があることに気がつくような性質のものであり、殊に幼児のみならず、判断力に乏しい児童や行動の機敏性に劣る老人、身障者にとつては、あるいは足を踏み外し、あるいは身体の平衡を失つて、転落するおそれのある極めて危険な構造というべきである。それにもかかわらず、本件事故当時障害物を置いたり柵を取り付けるなど危険防止の措置はなんらとられていなかつたものである。

〈証拠〉によれば、本件の隙間のある階段部分の設計にあたつては、会議室部分は国際会議室を有することもあつて、子どもが出入することは全く予想せずに、美観を重視し、かつ地震に対する強度を確保するためと階段部分の採光をも考慮して、簓桁方式といつて階段を壁から離して構造にし、その結果本件の隙間が生じたことが認められる。しかしながら、いわゆる簓桁方式であるからといつて、必ず本件のような隙間をそのまま放置しなければならないものではなく、この隙間を塞ぐことにより耐震性を減ずるものとはとうてい解されないし、採光を妨げず、美観を損ねない方法で柵取付けその他危険防止の設備をすることは、なんら困難なことではない。そして、前記のとおり当然予想し得べかりし危険について、偶々設置者、管理者が予想しなかつたからといつて、公の営造物の瑕疵が瑕疵でなくなるものではないことは勿論であり、国または公共団体の損害賠償責任は、設置者、管理者が瑕疵の存在に気づかなかつたことについての過失の有無により左右されるものでもない。また被告主張のように建築基準法に違反しないとしても、それだけで瑕疵の存在を否定することはできない。

してみると、本件のような危険な隙間が存する前記隙間周辺の施設構造は、その設置自体に瑕疵が存するものというべきであり、またそれにもかかわらず、なんら危険防止のため適切な措置をとらなかつたことについて、その管理にも瑕疵があつたということができる。

なお、〈証拠〉によれば、階段部分に本件の隙間と類似の空間のある建物が他にも存在することおよび右証人らが知つている範囲ではこれまでそのような場所で転落事故が発生した例はないことが認められるのであるが、それは、その施設が瑕疵あるままに放置されているというにすぎず、このことのみではなんら前示判断を右左するものではない。

4  そして本件事故と前記設置および管理の瑕疵との間に相当因果関係があることは、すでに説示したところによつて明らかである。

なお、被告は、本件事故の発生はひとえに母親としての監護義務を果さなかつた原告博美の責任であると主張するが、この点は後記のように被害者側の過失として損害賠償額の算定にあたつて斟酌すべき理由となるにすぎず、右の相当因果関係を欠くという趣旨であれば、理由がないことは明らかである。

5  そうすれば、被告は、本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

四、損害について

1  秀明の逸失利益

〈証拠〉によれば、秀明は、死亡当時満二才三ケ月弱の健康な男児であつたこと、秀明の母親である原告博美は従業員八名を有する美容院を経営し、父親である原告哲夫は鉄工所の工員として稼働していることが認められる。そうすると、秀明が死亡しなかつたとすれば、第一二回生命表によれば秀明の平均余命は67.31年であるから、少なくとも満二〇才から満六〇才に達するまでの四〇年間、企業規模一〇人以上の事業所において稼働できたものと推認される。

労働大臣官房労働統計調査部発表第二二回労働統計年報中の賃金構造基本統計調査によれば、昭和四四年六月における企業規模一〇人ないし九九人の事業所の全産業労働者の男子平均賃金は、満二〇才ないし満二四才の者については、平均月間きまつて支給される現金給与額計(A)三万九、九〇〇円、平均年間特別に支払われた現金給与額(B)六万四、一〇〇円であり、満二五才ないし満二九才の者については、前者(A)五万二、一〇〇円、後者(B)一〇万〇、七〇〇円であるから、平均年間支払われた現金給与額((A)×12+(B))は、それぞれ五四万二、九〇〇円(満二〇才ないし満二四才)、七二万五九〇〇円(満二五才ないし満二九才)となる。

そうすれば、秀明は、右稼働期間中、少くとも、満二〇才から満二五才に達するまでの五年間は毎年右同年令階層の者と同じ平均年収五四万二、九〇〇円を得、満二五才から満六〇才に達するまでの三五年間は毎年右満二五才ないし満二九才の年令階層の者の平均年収以下であること明らかな原告ら主張の年収六九万一、五八四円の収入を得ることができたものと認められる。

そして、秀明の支出すべかりし生活費、租税は、右稼働期間を通じて収入の五割をこえることはないとみるのが相当である。

従つて、右期間中の純収入について、ホフマン式計算法(年毎複式)により、年五分の中間利息を控除して、秀明死亡時の現価を算定すると、

となる。

してみると、秀明が少くとも原告ら主張の三九二万九、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失したことは優に肯認できる。

ところで、前記二においてみたところにより明らかなように、本件事故の発生については、原告博美が幼くて判断力、行動力に乏しい秀明が会議室の外に一人で出て行つたことに気づきながら、これを制止することもなく、また直ちに連れ戻すなりついて行くことをせず、ややあつて前記渡辺がついて行つたことに安心して同人にまかせたまま放置していたという、監護義務者としての注意義務を十分に果さなかつた過失が一因をなしているといわざるをえない。

そうすれば、右過失は被害者側の過失として過失相殺の対象となるので、右過失の程度を考慮し、被告は、右秀明の逸失利益のうち七割を賠償するのが相当である。

2  秀明の慰藉料

秀明は、死亡当時満二才の幼児であり、両親の愛を一身に受けていたところ、一瞬の本件事故により、丸一日間死線をさまよつたうえ、幼い生命を失つたのであつて、不慮の事故により人生の大部分を失つたことによる精神上の損害は甚大である。本件事故の経緯、原告博美の過失その他諸般の事情を考慮すれば、右精神上の損害を償うため被告より支払いを受けるべき慰藉料額は一〇〇万円が相当である。

3  原告らが秀明の両親であることは前記のとおりであり、〈証拠〉によれば、原告両名のほかには秀明の相続人はいないことが認められる。

従つて、原告らは、それぞれ右12の合計の二分の一ずつの損害賠償請求権を相続し、その額はそれぞれ金一八七万五、一五〇円となる。

4  原告らの慰藉料

〈証拠〉によれば、秀明は、死亡当時は原告らの唯一人の子であり、健やかに育ち可愛いさかりであつたことが認められ、思いもかけぬ本件事故により秀明を失つた原告らの悲しみは察するに余りあるが、他方、右証拠によれば、被告は、原告らに対し、香典三万円と花輪二つを贈つたこと、原告ら夫婦間には本件事故後第二子(男児)が出生していることも認められ、その他秀明の逸失利益および慰藉料の相続分としての財産的利益を得ることになること、原告博美の過失等諸般の事情を考慮すれば、右精神上の損害を償うため被告より支払いを受けるべき慰藉料額は、原告各自につき一五〇万円が相当である。

5  弁護士費用

原告らが、本件訴訟の提起および追行を本件原告両名訴訟代理人らに委任したことは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、被告は、本件事故による秀明の死亡につき、原告らに対し、香典三万円と花輪二つを贈つたのみで、賠償責任を否定して原告らの損害賠償請求に応じないので、本件訴訟提起に至つたことが認められるが、弁護士費用として、原告ら主張の原告両名訴訟代理人らに対する着手金支払いの事実および成功報酬支払いを約束した事実は、いずれもこれを認めるに足りる証拠はない。しかし、右認定事実および弁論の全趣旨によれば、右訴訟委任の契約においては相当額の委任報酬の支払いを前提とするものであることが認められるところ、日本弁護士連合会の定める報酬基準、本件事案の難易、請求額、認容額、その他諸般の事情を考慮すれば、原告各自につき、それぞれ支払うべき報酬(手数料および謝金)の相当額は各合計金三〇万円を下らず、また右金額の範囲において本件事故と相当因果関係に立つ損害ということができる。

五、結論

以上のとおりであるから、被告は原告らに対し、それぞれ金三六七万五、一五〇円およびこれに対する秀明の死亡した日である昭和四四年六月一一日から、支払いずみまで、いずれも民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

してみると、原告らの本訴請求は、右金員の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一、四項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(桑原宗朝 渡辺惺 浦野信一郎)

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